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横浜育ちは「横浜市歌」が歌える件

先日、ランチタイムに地元あるある的な話になり、横浜市歌の話をして懐かしくなりました。

そんな私も横浜生まれの横浜育ち。

横浜市には「横浜市歌」というものがあって、作詞は森林太郎森鴎外)で、横浜港の開港記念に作られた…という歌だと習ったことを覚えています。
こんな記述を発見。

横浜市歌は、1909(明治42)年、横浜港の開港五十周年を記念して作られました。作詞は文豪森鷗外、作曲は東京音楽学校助教授南能衛(みなみよしえ)です。同年7月1日の開港五十年祭において市内小学生の歌唱により披露されました。1966(昭和41)年には「横浜市歌普及専門委員会」により改訂が加えられ、現在歌われているのは改訂後の市歌です。長く歌い継がれ、市民に親しまれている横浜市歌。その歴史と拡がりを知る資料をご紹介します。

 

細かいことは覚えていない…。けれど、身を持って経験しているのが、

 

「横浜育ちなら横浜市歌が大人になっても歌える」

ということ。大人というのは30代も、40代も、70代もまさに老若男女みんな歌える。私の両親も叔父叔母は歌えています。

小学校の6年間は特に徹底して当たり前のように歌っていた記憶。歌わなくなる大人になってもそれは染みついていて伴奏が流れるとそれまで忘れていても記憶が蘇ってきて、口ずさむか脳内で歌ってしまうのです。

 

ただ、ずっと歌っていないせいで細かい歌詞があやふや。

いま私の脳内にある歌詞を書いてみよう。

 

「わーがひのもとは島国よー、あさひただよう海に、連なりそばだつしまじまなれば、あらゆる国より船こそかよう。

われらー、港のーかずおおかれど、この横浜にまさるー、あらめやー。

むーかしー、思えばとまやのけむり、ちらりほらりとたちりしところ。

今はももふねももちふね、泊まるところをみろや、◯◯◯◯◯(おもいだせない)いくせんみよを、かざる宝のいりくる港」

 

若干記憶が怪しい。最後の一節の歌詞が出てこないが曲自体はわかる。

では、実際のところ歌詞はどうなのか? 調べてみると、横浜市のサイトにかいてあった!

 

横浜市歌について 横浜市

 

わが日の本は島国よ (わがひのもとはしまぐによ)
朝日かがよう海に (あさひかがよううみに)
連りそばだつ島々なれば (つらなりそばだつしまじまなれば)
あらゆる国より舟こそ通え (あらゆるくによりふねこそかよえ)

されば港の数多かれど (さればみなとのかずおおかれど)
この横浜にまさるあらめや (このよこはまにまさるあらめや)
むかし思えば とま屋の煙 (むかしおもえばとまやのけむり)
ちらりほらりと立てりしところ (ちらりほらりとたてりしところ)

今はもも舟もも千舟 (いまはももふねももちふね)
泊るところぞ見よや (とまるところぞみよや)
果なく栄えて行くらんみ代を (はてなくさかえてゆくらんみよを)
飾る宝も入りくる港 (かざるたからもいりくるみなと) 

 

歌唱の音源も公開されています。

 

うむむ、てにをはなど細かいところが間違っているものの概ね記憶している…!?

横浜市歌はみんなで合唱してその一体感を感じ、帰属意識を高めるためにあるような気がするし、事実ものすごく帰属意識がたかい。ああ、無性に合唱したい、みんなで歌いたい。

 

近年では「横浜DeNAベイスターズ」の応援歌として採用されているんだそうで、ホームランやフォアボール、試合に勝った時に流れるんですって、これは歌ってもいいのかな? 是非歌いに行きたい。

 

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